桜井真樹子の
作品紹介
works
百済観音

映像は、2016年1月 「はまとら祭2016~越境する横浜芸能博覧会~」
横浜、のげシャーレ・小ホールにおいて)
【作品について】
 2015年の世界的な出来事として、シリアの難民問題、そしてIS(イスラミック・ステーツ)シリアのパルミラ遺跡の破壊がありました。
 これは、日本にとって遥か彼方の、日本人の生活には、さほど関わりのない出来事なのでしょうか?
 そうでしょう。
 私が、少しそう思わないのは、2010年、「アラブの春」が来る前のシリアを旅したからです。彼らは、ホスピタリテイ(おもてなし)のある人たちで、私が道に迷ったときに、「とにかくこれで駅まで行きなさい」と、お札を握らせて、タクシーに乗らせてしまうような人たちです。シリア人たちが、ボートでトルコ、ギリシャに渡り、さらにドイツを目指して、ヨーロッパ大陸をバスや鉄道で乗り継いでいる情景を見ると、「あの人」が私に掴ませたお金があれば、もっと早くドイツを目指せたかもしれない、と心を痛めます。
 パルミラの遺跡も見ました。そのバール・シャミン神殿、ベル神殿も爆破されました。
 パルミラ遺跡の研究を続けた考古学者ハレド・アサド氏は、遺跡を安全な場所に避難させ、最後まで、ISに遺跡の避難先を最後まで語らず、8月18日に斬首刑され、彼の遺体は、パルミラ遺跡の広場の柱に吊るされました。
 「故郷を追われた人々」「失われた遺跡」。これらの悲劇を、少しでも身近なものとしてストーリーを作れないだろうか?という発想がこの作品を始まりです。
 大震災や原発事故で故郷を後にした人たち、故国を今も思いつつ、日本に住む在日の人々。そして現在のヘイト・スピーチ。その祖先が、私たちに残した文化財。ハレド・アサド氏と交流も持つ、文化財を守る日本の古都の博物館の学芸員たち。日本の学芸員たちも第二次世界大戦のときに、文化財を守るために尽力をした歴史をハレド氏は知っていたのかもしれません。
 これらをもとに、法隆寺の「百済」という名をもつ観音をテーマに、それを作った止利(とり)仏師を主人公(シテ)にしました。

 亡くなった人を呼び寄せ、「彼」の思いを語らせる「幽玄能」の形で、舞台は進められてゆきます。しかし、それは、過去から現在に「彼」を呼び寄せるのではなく、「過去」から「未来」に、「彼」を呼び寄せます。今、生きている人たち(演技者、聴衆者)が、未来に身を置き、そこから、「過去霊」を呼び寄せる幽玄能です。
 なぜ、亡くなった霊を、呼び寄せるのでしょうか?
 それは、私たちがその霊をなぐさめるためにです。ゆえに、私たちは、神の前でこの舞台を繰り広げます。「神」とは、何か限定された宗教ではなく、演技者が「礼を拝して行います」という心構えの対象とも言えます。
 しかし「能」は、何かを変えることはしません。ハッピーエンドも、悲劇が訪れるわけでもありません。何も変わらない、あるいは、「無常は何の約束もできない」のですが、それでも、霊はなぐさめられる、という「祈り」の形式です。
【あらすじ】
【前幕】
 奈良の法隆寺には、錚々たる仏像があると聞いて、韓国から、やってきた旅人がいる。しかし、法隆寺があったのは、昔のこと、今は、廃墟となっている。そこに一人の老人がいる。何をしているのかと問うと、庭掃きをしていると。そしていつかこの池も川も澄んだ水に戻ることを願っていると言う。

【アイ(幕間)】
 旅人に「ここは立ち入り禁止だ」と言う警備員がいる。警備員は、さらに続ける。「ここはかつて法隆寺という国宝の数々を収めた寺があったが、今は、跡形もなく、放射線量の高い、立ち入り禁止区域となった。朝鮮半島の北にある国が崩壊したあと、次々に日本の若狭湾に難民が押し寄せた。しかし日本政府は受け入れようとはしなかったが、国際世論に押されて受け入れるようになった。しかし、彼らの働き先は、福島第一原発、川内原発の事故処理だった。しかし、彼らは、ひたむきに、地道に働き、その技術は、世界に類を見ないレベルへと達していった。福島第一原発事故処理班のリーダーは、ある日、奈良の法隆寺を訪れた。そこで百済観音を見たときに「これはわが故郷の観音だ」と思った。そう、この国に住もう、私たちはこの国の移民として、根を降ろそうと決心した。かれは、その年の十五夜の日を選んで、同胞たちに「法隆寺に集まろう!」とフェイス・ブック、ツイッターで呼びかけた。そうやって集まってきた人々は、法隆寺で、移民としての基本的人権を得ようと誓いを立て「宣言」した。しかし、日本国軍は、それを、テロ、暴動と判定し、法隆寺を囲み、人々に銃を向けた。事故処理班のリーダーは、プルトニウムから爆弾を作り、それを身につけた。日本軍は、彼らを容赦なく撃ち殺していくことがわかったとき、リーダーは、百済観音のガラスケースを打ち破り「ウリナラ!我が国よ!」と叫び、核爆発を起こした。だから、ここは、人の立ち入ることのできない、放射線量汚染の場所となったのだ」と。そして旅人をそこから追い払おうとする。

【後幕】 
 旅人が夜露を枕に寝ていると、老人は、若き日の姿で、旅人の枕元に現れた。自分は、止利という仏師で、祖父の鞍作部が、百済から運んだ百済観音を日本に運んできて、それを手本に自分は釈迦三尊を掘ったという。この国に仏法を広めようと、一族は海から渡ってきた。
 しかし、生まれ変わって、再び百済観音に会ったのは、福島第一原発事故処理班のリーダーとして。そして自分で作った観音を自分で破壊してしまった。この罪は、死をもっても贖えないと思うと、旅人の前で嘆く。
 しかし、夜もますます更け行くとき、その法隆寺の鏡池の水は揺らぎ、蓮の花は水の上に散り落ちて、台座となり、止利の前に、百済観音は再び姿を現した。そして、水瓶を止利に差し出した。止利は鏡池の水を汲むと、闘いで、血に染まった水は再び八功徳の水として甦った。
 止利はその吉祥に喜び、観音の慈悲に礼拝する。空が白み始めると、百済観音も止利も再び、消えていった。
 原作・脚本:桜井真樹子
 シテ(庭守、止利):桜井真樹子
 ワキ(旅人):樽川軽章
 アイ:川野誠一
 地謡:松井隆、前橋元雄、吉松章
 小鼓:河内孝子
 大鼓:ジェームス・ファーナー
 笛:滝沢成実

<前幕より>
 老人は、人々の罪によって、汚れてしまったいこの池も、龍田の川も、観音に許しを乞い、澄んだ水が戻ることを願っているという。

 老人:救いを求め集いたる。
 地謡:衆生の庭の池には、底澄む水のあらばこそ 死に水は聖の天衣(てんね)映すことなし。おのが流れを清めんと 川は百代(ももよ)をながるれど 鳥の羽は折れ草木は哀しき聲のみ聞きにけり。人々観音に許し乞ふばかり。観音に祈るばかりなり。観音に祈るばかりなり。観音に祈るばかりなり。
<後幕より>
 止利は、観音に許しを乞うと、月の光が法隆寺の鏡池を照らし、水は揺らぎ、蓮の花は水の上に散り落ちて、台座となり、止利の前に、百済観音は再び姿を現した。
止利の悦びの舞。

 止利:
 初発心時(しょはつしんじ)
 便正覚(べんせいかく)
 生死涅槃(せいしねはん)
 常共和理事(じょうきょうわりじ)
 冥然無分別(めいぜんむぶんべつ)
 十佛大人境(じゅうふだいにんきょう)
 能人海印(のうにんかいいん)
 三昧中繁出(さんまいちゅう)
 如意不思議(にょしふしぎ)
<後幕より>
 観音は、止利に水瓶(すいびょう)を差し出し、止利は、鏡池の水を汲むと、そこに八功徳の水は蘇った。

 止利:止利は 池の水を 静かに汲みて
  地謡:観音に 手渡す 八功徳(はちくどく)の水
 たち處(どころ)蘇る 水瓶(すいびょう)を 手に止利 立ち上がれば 草揺らす 風に息づく 虫の音も かれがれに 龍田の山に 月傾(かたぶ)けば はや夜も 白々と明けゆくや 御髪(みぐし)に滴る雫(しずく)も姿も 朝の光と なりにけり。
 止利:雨宝益生満虚空(うほうえきしょうまんこくう)