桜井真樹子の
作品紹介
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ダヴィデの声明・如来のイムヌス

ダビデの声明・如来のイムヌス

ダヴィデの声明・如来のイムヌス 2020年3月14日(土) えびらホール

甥がグレゴリオ聖歌をやっているというので、
天台声明をやっている叔母である私と
「声明とグレゴリオ聖歌」の二重唱をしようということになりました。


プログラム1

「ダヴィデの声明」

詩編第23編
G:櫻井元希 M:桜井真樹子

1."Dominus regit me"---グレゴリオ聖歌(ラテン語)G
2.תהלים כג ״יהוה רעי לו אחסר״ ---モロッコ系の朗唱(ヘブライ語)M
3.「主は私の羊飼い」---グレゴリオ聖歌風に新作(日本語)G
4.「耶和華為牧兮」---声明風に新作(中国語)M
5.「主はわれらの牧者」---高田三郎(日本語)G
6.「主は、牧場の人」---声明風に新作(中古日本語)M

【ダヴィデの声明について】

「ダヴィデの声明」は、全て旧約聖書の詩篇23編の内容を歌ったものです。

 詩篇23編 賛歌ダビデの詩

1. 主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。

2. 主はわたしを青草の原に休ませ   憩いの水のほとりに伴い

3. 魂を生き返らせてくださる。
  主は御名にふさわしく わたしを正しい道に導かれる。

4. 死の陰の谷を行くときも わたしは災いを恐れない。
  あなたがわたしと共にいてくださる。
  あなたの鞭、あなたの杖 それがわたしを力づける。

5. わたしを苦しめる者を前にしても
  あなたはわたしに食卓を整えてくださる。
  わたしの頭に香油を注ぎ
  わたしの杯を溢れさせてくださる。

6. 命ある限り 恵みと慈しみはいつもわたしを追う。
  主の家にわたしは帰り 生涯、そこにとどまるであろう。

「聖書 新共同訳」日本聖書協会 1987年

【M:桜井真樹子のプログラムについて】

ここでは、M:桜井真樹子のプログラムについて解説します。

2. מזמור לדוד(ミズモール・レ・ダヴィド)


キリスト教の旧約聖書は、ユダヤ教の三つの聖典、トラーתורה「モーセ五書」、ナビイームנביאים「預言書」、コトゥビームכתובים「諸書」によるものです。
したがって、旧約聖書の原典は、ヘブライ語で書かれており、それをギリシャ語、ラテン語に翻訳された歴史があります。
ユダヤ教では、聖典に節をつけます。理由は、ヘブライ語が話されなくなって、ヘブライ語の文法が明確化されなくなっていくことを恐れて、どこで大きく文章が切れて、どこで文節がまとまっているかなど、文法的な記録をとどめるために、文章、文節の終わりごとに節を決めていきました。それをタアメイ・ハ・ミクラטעמי המקראと言います。
タアメイ・ハ・ミクラのスタイルには主に、ヨーロッパ系、スペイン系、イエメン系、モロッコ系に分かれています。その機能は同じでなのすが、長い歴史の中で、その土地土地のモード(旋法)に変わって行きました。今日は、その中のモロッコ系のスタイルによる詩篇23篇をお送りします。


4. 耶和華為牧兮

1. 耶和華為牧兮、吾是以無匱乏兮、
2. 使我伏芳草之苑、引我至靜水之溪、
3. 彼使我靈復蘇、為其名 導我行於義路兮
4. 我行死蔭之谷 心不忌憚於受害兮 蓋爾必偕我 爾杖爾梃必慰我兮
5. 爾必在我敵前 為我設席 爾曾以膏沃我首 我爵溢兮
6. 我得恩寵福祉、畢生靡窮兮、耶和華有室、爰居爰處、日久月長兮

 中国の聖書翻訳は8世紀に始まります。
ネストリウス派によるキリスト教の伝来により、「大秦景教流行中国碑(だいしん けいきょう りゅうこう ちゅうごくひ)」という碑文が残されています。13世紀にはフランシスコ会が福建省の泉州市に入りました。
16世紀末に入るとイエズス会のマテオ・リッチが北京に入り、彼も布教と聖書翻訳を行いました。以降、明朝、清朝と引き続きイエズス会が中国に入り、聖書の翻訳も引き続き行われるようになりました。19世紀に入ると東インド会社をスポンサーとしてプロテスタントが入り、最初に中国に渡ったロバート・モリソンは、精力的に中国語、中国の文化習得に配慮された聖書の翻訳を行いました。

 今日は、イライジャ・ブリッジマンによる中国語聖書を採用しました。ブリッジマンはアメリカのプロテスタントの宣教師で、アメリカ人として初めて中国に渡り、ロバート・モリソンと同じ場所、福建省の広州に住みます。
しかし、聖書翻訳にあたっては、イギリスのロンドン伝道教会との対立が生じ、ブリッジマンはアメリカの長老派の協力を得て、翻訳を完成させました。
 1854年の「委辨譯本(いべんやくほん)」と1863年の「碑治文譯本(ひじぶんやくほん)」、ともにブリッジマンの訳で、日本で言うところの文語調で翻訳されています。この二つの旧約聖書の詩篇23篇の優れた文章と思った方を選び、再編成して節をつけました。


6. 主は牧場の人

1. 主は、牧場の人 我貧しきことなし。
2. 主は牧草の苑に伏しめてのち、静水の溪に引きて導く。
3. 主は我が魂を蘇らしめ、その名によりて義に路に導きぬ。
4. 死の陰の溪を我れ歩むとも、災い恐るることなし。主は常に我とともにおはすゆへ、爾の棒と杖、我を慰めん。
5. 我が敵には、主は我れの前に食膳を認ためらるる。我が頭に香油を沃ぎ、我が杯は満ち溢る。
6. 善と慈しみを追ひ続く、我が生涯のすべての日々に。その生涯、久しく主の家に処す。

 6世紀、日本に仏教が伝来して以来、日本では、仏教の経典は中国語で翻訳されたものを、漢字の発音に基づく、いわゆる「音読み」で唱えられます。
今でも、般若心経など、多くの経典が音読みで唱えられています。それを日本語の文章で読み、経典と同じ価値に並べて唱えようと考案したのが、10世紀中期に「往生要集」を著した天台宗の僧侶、源信です。
経典は中国語の教養を持つ僧侶たちだけのものであったのを、源信は貴族たちも招き入れ、参加して勉強会を行いました。それが後の鎌倉仏教の浄土信仰へとつながり、一般民衆の中に仏教が浸透してゆく基盤を作りました。
源信の作った日本語の文章による経典「二十五三昧式」には、日本語の響きにふさわしい節がつけられました。
この日本語の文章に節をつけるスタイルを「講式」と言います。第二部でも「講式」の部分が登場します。「講式」の節、つまり、日本語による経典(仏の教え)の旋律は、のちに琵琶法師たちによって平家物語の語り物の節の原型になりました。

 ここでは、先ほど唱えた中国語の詩篇23篇から日本語に翻訳し、また現在の日本語の新共同訳旧約聖書の翻訳も参考にしつつ、源信が作った二十五三昧式の日本語にふさわしい節「講式」をもとに唱えてみようと思います。


プログラム2
「如来のイムヌス」

1.「如来妙」
如来妙

2.「色」
Haec autem Maria cogitante Jesu,apparuerunt illa dispertitae linguae tamquam ignis,
et apparuerut Deus pulcher incomparabile.

3.「講式」
如来の妙色身は、世間に興に等しきものなし。
無比にして不思議なり。是の故に今敬礼しまつる。
如来の色は無尽なり。智慧も亦然りなり。
一切の法に常住したまふ。是の故にわれ帰依しまつる。
 「国訳一切大蔵経」より『勝鬘獅子吼一乗大方便方広経 如来真実義功徳章第一』

4.「身」
声明:色身

グレゴリオ聖歌:
Alleluia.
Tu es pulcher, Maria, non sit similis illi in omni populo. S ingularis es, et supra cogitationem hominis es.
Alleluia.

5.「世」


6.「間無当等」(中唄)
声明:間無当等
グレゴリオ聖歌:
Antiphona I
Species decoris Mariae immensa est. Et misericordia ejus aeterna est,
et non erit finis. Adoro eam ergo.

Antiphona II
Miserere mei, Domine, adjuva me cotidie, inclina aurem tuam ad me,
et salvum me, Deus meus, in aeternum.

Versus
"Dixit Dominus" "Laetatus sum" "Lauda Jerusalem"
"Magnificat"

【如来のイムヌスについて】

「如来のイムヌス」では「如来唄」「中唄」の天台声明が全体を通して唱えられます。

「如来唄」
 如来妙色身 世
「中唄」
 間無当等 無比不思議 是故今敬礼
となっており、この2曲が一文になっています。

「如来妙色身」如来様の御身から発せられる色・オーラの輝きは、 「世間無当等」この世間においてそれと等しいものはありません。
「無比不思議」比べることはできなく、大変不思議なものです。
「是故今敬礼」それ故に私は如来様に敬礼し、帰依致します
「如来唄」「中唄」、この二曲は「勝鬘経」という経典から取られた如来を讃嘆する歌詞です。

 ブッダの出身国、コーサラの国王プラセーナジットの娘、シュリーマーラ、つまり勝鬘が如来に出会い、如来に教えを請い、如来蔵思想を説いた経典として知られています。
 7世紀、厩戸王(うまやどおう)は日本の仏教の布教のために三つの経典を選びました。「法華経」「維摩経」そして「勝鬘経」です。当時、政権は推古朝だったので、女帝推古をシュリーマーラと見立て、如来の教えを、推古を通して語らせているように、見せたかったのかもしれません。
 如来唄は天台宗声明の秘曲とされています。現在でも大変、重要な声明として扱われています。

1. 「如来妙」
如来唄の「如来妙」の三文字を独唱します。

2. 「色」
グレゴリオ聖歌の独唱です。

3. 「講式」
如来の妙色身は、世間に興に等しきものなし。
無比にして不思議なり。是の故に今敬礼しまつる。
如来の色は無尽なり。智慧も亦然りなり。
一切の法に常住したまふ。是の故にわれ帰依しまつる。
 講式が唱えられている間、グレゴリオ聖歌は、通奏低音のように唱えらます。

4. 「色身」
グレゴリオ聖歌の“Alleluia” の旋律に合わせて、「色身」の二文字で声明の節で作曲し、合唱します。

5. 「世」
中唄の「世」の一文字を独唱します。

6. 「間無当等」
中唄の「間無当等 是故今敬礼」とグレゴリオ聖歌が同時に唱えられます。

これは、「間無当等 是故今敬礼」のところです。
https://www.youtube.com/watch?v=3UfsXjZR9ZM

【終わりに】

声明とグレゴリオ聖歌
 共に、聖なる言葉の書かれた本から節をつけています。
 「声明」という意味は、もともと僧侶になるための「五明(五つの学問分野を明らかに理解する)」の中の一つです。

 声明…言語、文法、文学
 因明…論理、哲学
 内明…宗派・学派別の教理・教義学
 医明…医学
 工巧明…建築・工学

 現代的に言えば、文学部、哲学部、宗教学部(あるいは法学とも)、医学部、工学部の五つの学部を修了して初めて僧侶になれるということです。

 話は逸れましたが、つまり「声明」というのは音楽ではないのです。日本の僧侶なら、経典の原文の中国語の文法を理解し、中国語に堪能になり正しい発音を学ぶ。さらに中国語経典の元であるサンスクリット語、これを中国漢字表記された梵語に精通していなければならない。僧侶たちは文字からサンスクリットの原典の響を求めたことでしょう。聖なることばを発すれば、そこに美しい響きが現れる。「如来唄」「中唄」であれば、五言に整えられた韻律の響きに、僧侶たちは宗教的感動を覚えたことでしょう。

 ここで多くは語らないことにしますが、響きが発せられたとき、人は時の流れ(時間)と世界観(空間)に改めて気づきます。その時間と空間が、聖なる世界(鎌倉仏教は一般の人々にわかりやすいように「浄土の世界」と説いた)を、今ここに実現させること。それを宗教儀礼と名付け、宗教者たちはその時空を何度も実現させようとする。彼らの宗教活動の始まりだったでしょう。

 その響きの実現が音楽と言われるかもしれません。その宗教儀礼がパフォーマンスと言われるかもしれません。それは後付けであったでしょうが、総じて「芸術活動」の根源を築いてくれました。  甥の櫻井元希も叔母の桜井真樹子も、音楽家として歩み始めたが、その道の始まった最初、音楽の扉の開かれた、その「扉」を探しているのかもしれません。

 現代における「音楽」が、決して純粋な実態として成立していないと感じ、「本来、音楽はなぜ人(わたし)を感動させるのか?」と振り返る。このテーマの旅を、桜井家は続けてゆけたらと思います。